プロフィールProfile

元熱血広島県庁職員・現役介護福祉士
 さとうしゅういち (佐藤周一)

1975年11月12日 福山生まれ東京育ち
1999年 東京大学経済学部卒業
2000年~ 広島県職員として労働や介護、医療、福祉行政に携わる
一方で平和や瀬戸内海の環境保護、男女共同参画、反貧困などの市民運動に参加
2011年 統一地方選挙で「あの」河井案里氏と対決するため退職
民間介護施設の事務を経て
2014年からは広島市内の老人ホームでヘルパーとして働く
2011~2013年 広島市男女共同参画審議会委員
2021年 案里氏の当選無効に伴う参院選広島再選挙に立候補
現在、広島自治労連執行委員・広島介護福祉労組執行委員

さとうしゅういちがこれまでの選挙で掲げてきた公約・スローガン

お金がなくても堂々と参加できる政治「民主主義の原点へ」

小選挙区制廃止 / 比例中心の選挙制度 / 政党交付金はいったん廃止 / 供託金の引き下げ /
ネット公開討論で市民参加 /「くじびき民主主義」の検討 /
核兵器禁止条約を日本政府に加入させる /「黒い雨」裁判を取り下げさせ世界中のヒバクシャ救済へ /
核兵器も核発電所もない社会 / 平和憲法をいかし人間の安全保障・SDGs 最優先の政治を /
クリーンな分散型エネルギーでカーボンニュートラル / コロナ下のいまこそクリーンで血の通った政治を /
当面は消費税ゼロ含む思い切った負担軽減と給付 / コロナ下のいまこそ医療・ケア労働者の抜本的処遇改善 /
コロナ下で人々の悩みにこたえる現場公務員はきちんとした労働条件で補充 /
公立病院・公立高校つぶしは許さない / コロナバブルでもうかっている超大金持ち・超大手企業にはコロナ特別税 /
家族介護者・ケアラー支援推進法の制定 / DV性暴力被害者支援充実 / 非正規労働者の差別・使い捨てを許さない /
選択的夫婦別姓推進 / 法の谷間におかれた片目失明者に光を / など

政治家を志望した動機

わたくし、さとうしゅういちは、1975年、カープが初優勝した年に福山市に生まれました。
すぐに東京に移り、東京で育ちました。しかし、小学校時代に広陵高校出身の被爆者の先生に担任をしていただき、平和やカープに目覚めました。
高校時代に郷里の先輩・井伏鱒二の「黒い雨」に動かされ、大学時代には、当時、普及し始めたインターネットを通じ、ネットでの平和教育を進める安佐南区内の大学や小学校の先生と交流させていただきました。
このころ、広島から平和で環境破壊も戦争も貧困もない世界をつくるための政治家になろうと決意しました。
そして2000年に、広島県庁に就職。主に山間部や離島などの介護や医療、福祉などの行政で仕事をさせていただきました。
その一方で、平和や環境、男女共同参画などの市民活動に参加しました。

県民ひとりひとりを大事にする県政へリニューアルを 河井案里さんに挑戦

県庁職員として仕事をする中で、県民ひとりひとりが大事にされていないのではないか?と痛感するようになりました。
また、政策ではなく組織やお金中心で従来の成功体験にとらわれた広島の政治に危機感を覚えるようになりました。
そして、この広島の政治をリニューアルすることが必要という考えが日に日に高まってきました。2011年県庁を退職し、県議選の 安佐南区であの河井案里さんに挑みました。
そして、2021年にはその案里さんの失職に伴う参院選再選挙にチャレンジしました。

広島土砂災害2014 契機に「広島をなんとかせにゃいけん」志をあらたに

さとうしゅういちは、実はこの間、2014年には家庭などの事情から、東京へ戻る決心もし、東京での就職も決まり、あとは広島の家を引き払うだけでした。
しかし、直後に広島土砂災害2014 が発生します。東京でテレビを通じてその様子を見たわたしは、「広島をなんとかせにゃあいけん」と再び決意。
東京での就職や借家入居を先方に頭を下げてキャンセルし、まだ引き払っていなかった安佐南区古市橋駅近くの家に戻り、災害ボランティアや被害状況の調査、知り合いの政治家への提言などに全力を尽くしました。
そして、広島市周辺の介護施設で働きながら政治活動を再開し、現在に至っています。


お問い合わせ先について

「さとうしゅういち」事務所

 〒731-0122 広島市安佐南区中筋1-18-27-203
  メールアドレス:hiroseto2004@yahoo.co.jp